上林暁「母ハルエ」高知県黒潮町(写真で見る文学周遊)

 私小説作家、上林暁は2度の脳出血で右手、足、口が不自由となっても、利き腕でない左手で書き続けた。ふるさとの黒潮町は、早朝からサーファーが集まる海になっている。(2月25日付夕刊掲載「文学周遊」の取材で撮影した写真で構成しています) (25日 14:00)

黒潮町の入野の浜に夜明けからサーファーが集まる

  • 上林暁文学館(大方あかつき館内)近くの松原に立つ記念碑・文学碑。「上林暁生誕の地」は川端康成の染筆という
  • 上林暁の生家が残っている
  • 上林暁文学館には母や家族の写真が展示されている
  • 母ハルエは列車と連絡船を乗り継いで高知と東京を往復した(写真は土佐くろしお鉄道)
  • ハルエは78歳まで東京見物をしたことがなかった。東京タワーから「夢の国にでも行っているような眺め」を見て、上ってよかったと喜んだ
  • 父親がサーフィンをしている間、砂浜で遊ぶ母子がいた=三浦秀行撮影

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