新田次郎「怒る富士」静岡県裾野市ほか(写真で見る文学周遊)

 宝永4年(1707年)の富士山の大噴火で、山麓の農民は甚大な被害を受けた。関東郡代、伊那半左衛門忠順(ただのぶ)は救済にあたるが、その努力は幕府内のみにくい権力闘争にはばまれる。(4月15日付夕刊掲載「文学周遊」の取材で撮影した写真で構成しています) (15日 14:00)

朝の光に浮かび上がる富士山(静岡県裾野市の十里木高原から)

  • 宝永4年(1707年)の大噴火による巨大な火口が口を開ける
  • 約2週間つづいた噴火でできた宝永山(右)。周囲には溶岩の砂利が広がる
  • 宝永火口の底から見上げる富士山頂(左)と宝永山
  • 農民の救済に尽力した関東郡代、伊那半左衛門忠順の像(静岡県小山町の伊奈神社)
  • 大量の火山灰が堆積した酒匂川では、大雨で堤防が決壊する水害が何度も起きた(神奈川県南足柄市)
  • 駿府代官、能勢権兵衛は伊奈半左衛門に協力し米5000俵を供出した。お互いの立場が危うくなることも覚悟で(静岡市葵区の代官屋敷跡。現在は料亭「浮月楼」になっている)
  • 富士山が最後に噴火してからすでに300年以上がたつ(静岡県裾野市の水ケ塚公園から)=鈴木健撮影

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